物を見る目
陶芸の工房にいた時に、那覇のお土産屋のほとんどの店に声をかけて、一軒一軒回って、売り込みに行ったので、その時の経験から、どの店がどういう考えをしていて、どういう人が働いているかと言う事がよく分かってきた。話をする相手は殆どがそのお店の経営者なので、社長と常務と私とで話す事なども度々あった。この事はとても良い経験だったと思う。
その時に一番強く感じた事は、店の人の大半は、ただ「毎日これを売っているから」たったそれだけの理由で自分は物を見る目が、作っている人より勝っていると思いこんでいる人がとても多かった。
だから私は色々な店の人に好き勝手なアドバイスをされたが、正直、物を売っているだけの人の意見を参考にする気など初めからなかったので、素直に返事だけしておいて全く話は聞いていなかった。
ただ、それを黙って聞く事によって、自分が独立した時にどういう店に売り込みに行けばいいのか参考にはなった。
色んな人の意見を黙って聞いておいて、その時に、私は店の人からどれほどプライドを傷つけられたか分からない。自分で物を見る目があると思いこんでいる人ほど、信じられない無神経な事を平気で言う。それも、一目見ただけで、簡単に感想を述べる。
自分の作品だけでなく、同じ工房の人の作品も持って行っていたが、「こんなの売れない・・・」このぐらいの事は普通にある事でなんでもないが、「まだ幼さが抜けきらないですね・・」と平然と言われた事もある。「これはどこが悪かったでしょうか」と言って、「目はこうした方がいい、鼻はこうした方がいい・・・」等、あまりに見下した態度を取られた時はさすがに、「それは今作っていないので・・・」と一言言って無視した。
ある、伝統的な民芸屋の60歳ぐらいの女性の方もいて、その人も自分で見る目があると思いこんでいる人だった。その人から、私が漆喰シーサーに独立した事を話すと、作品持っておいでって言われて、多分、その人には絶対に理解されないと思いつつも、持って行ったが、やはり思った通り、一目見るなり「あなたも独立したいんならこんな作風じゃだめだ、これは子供の工作だね」と言われた。
伝統的なシーサーを好む人に、私の作品は絶対に理解出来ないと思うし、理解してもらう必要もない。肝心なのは、物を見る目ではなくて、物を感じる心だと思う。
人間国宝が作ったのか、その子孫が作った作品なのか・・・その区別が付くか付かないかなど、鑑定士でもない限りそんな見る目は必要ないし、いい物か悪い物かより、その作品を見て、どれほど心をときめかせる事が出来るか・・・その事が一番大事だと思う。
例えばキティちゃんグッズが好きで、それを見て心が安らぐなら、それでいいと思う。プラスチックで大量生産された雑貨に、芸術的な価値はないかもしれないが、そもそも雑貨自体、心がほんわかした気持ちになる為に存在する物で、それを感じる心がない人もいる。
また、見る目があると思いこんでいる店に限って、大した品揃えではない。品揃えのいい、素晴らしい雑貨を沢山置いていて、インテリアにもこだわっている人が経営している店の人と言うのは、簡単に人の作品を批判しないし、「物を売っている」だけの人間より「作っている人」の方が、どれほど作品に対して思い入れがあるかを分かっている。
私が沖縄の民芸屋で一番好きな店の若い女性の店員にはこう言われた。「作っている人にはかなわない・・」と。そんな考えをしているなんて珍しいなぁと思って、私が今までに他の店の人から何度も批判されて来た旨を話すとすごくびっくりされた。
それで私は、漆喰に独立した時には、もう無駄な事はしなかった。数軒の、本当に雑貨が好きで経営している、感じる心を持っている店長のいる店にしか作品を持って行かなかった。
質の高い物より、どれだけその作品から幸せをもらえるか・・そういう基準で物を選びたいと思う。
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