2007年01月10日

物を見る目

陶芸の工房にいた時に、那覇のお土産屋のほとんどの店に声をかけて、一軒一軒回って、売り込みに行ったので、その時の経験から、どの店がどういう考えをしていて、どういう人が働いているかと言う事がよく分かってきた。話をする相手は殆どがそのお店の経営者なので、社長と常務と私とで話す事なども度々あった。この事はとても良い経験だったと思う。
その時に一番強く感じた事は、店の人の大半は、ただ「毎日これを売っているから」たったそれだけの理由で自分は物を見る目が、作っている人より勝っていると思いこんでいる人がとても多かった。
だから私は色々な店の人に好き勝手なアドバイスをされたが、正直、物を売っているだけの人の意見を参考にする気など初めからなかったので、素直に返事だけしておいて全く話は聞いていなかった。
ただ、それを黙って聞く事によって、自分が独立した時にどういう店に売り込みに行けばいいのか参考にはなった。
色んな人の意見を黙って聞いておいて、その時に、私は店の人からどれほどプライドを傷つけられたか分からない。自分で物を見る目があると思いこんでいる人ほど、信じられない無神経な事を平気で言う。それも、一目見ただけで、簡単に感想を述べる。
自分の作品だけでなく、同じ工房の人の作品も持って行っていたが、「こんなの売れない・・・」このぐらいの事は普通にある事でなんでもないが、「まだ幼さが抜けきらないですね・・」と平然と言われた事もある。「これはどこが悪かったでしょうか」と言って、「目はこうした方がいい、鼻はこうした方がいい・・・」等、あまりに見下した態度を取られた時はさすがに、「それは今作っていないので・・・」と一言言って無視した。
ある、伝統的な民芸屋の60歳ぐらいの女性の方もいて、その人も自分で見る目があると思いこんでいる人だった。その人から、私が漆喰シーサーに独立した事を話すと、作品持っておいでって言われて、多分、その人には絶対に理解されないと思いつつも、持って行ったが、やはり思った通り、一目見るなり「あなたも独立したいんならこんな作風じゃだめだ、これは子供の工作だね」と言われた。
伝統的なシーサーを好む人に、私の作品は絶対に理解出来ないと思うし、理解してもらう必要もない。肝心なのは、物を見る目ではなくて、物を感じる心だと思う。
人間国宝が作ったのか、その子孫が作った作品なのか・・・その区別が付くか付かないかなど、鑑定士でもない限りそんな見る目は必要ないし、いい物か悪い物かより、その作品を見て、どれほど心をときめかせる事が出来るか・・・その事が一番大事だと思う。
例えばキティちゃんグッズが好きで、それを見て心が安らぐなら、それでいいと思う。プラスチックで大量生産された雑貨に、芸術的な価値はないかもしれないが、そもそも雑貨自体、心がほんわかした気持ちになる為に存在する物で、それを感じる心がない人もいる。
また、見る目があると思いこんでいる店に限って、大した品揃えではない。品揃えのいい、素晴らしい雑貨を沢山置いていて、インテリアにもこだわっている人が経営している店の人と言うのは、簡単に人の作品を批判しないし、「物を売っている」だけの人間より「作っている人」の方が、どれほど作品に対して思い入れがあるかを分かっている。
私が沖縄の民芸屋で一番好きな店の若い女性の店員にはこう言われた。「作っている人にはかなわない・・」と。そんな考えをしているなんて珍しいなぁと思って、私が今までに他の店の人から何度も批判されて来た旨を話すとすごくびっくりされた。
それで私は、漆喰に独立した時には、もう無駄な事はしなかった。数軒の、本当に雑貨が好きで経営している、感じる心を持っている店長のいる店にしか作品を持って行かなかった。 
  
質の高い物より、どれだけその作品から幸せをもらえるか・・そういう基準で物を選びたいと思う。


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Posted by 川島陽子 ・ ひだまりみかん at 21:39│Comments(6)漆喰修行
この記事へのコメント
長文だったのでじっくり読ませてもらったよ。ほんで私もじっくり書くよ。
ただ販売者・評論家・研究者・使用者どれも創作者にはかなわない。
私は大学時代教授なんてつまらない生物だなと思ってた。
特に文学部の教授なんて作家に比べたら単に批評してるに過ぎないし。
人の作ったもの、人の創造物を理屈つけてあれこれいうくらい誰だってできる。
文学小説なんてどう感じて読むかであってあれこれなんくせつけて
論理立てて批評する必要、私はないって思ってたので今思えば私は
生意気な生徒だったと思う。作品の書けない人がなんぼじゃってね。
雑貨に限らずモノを見る目って自分の中で自分が培っていくもの。
日本人はブランドに踊らされやすいけどそうじゃなくって
自分が本当に良いと思えるもの、使いやすいもの、手元に置いていて
癒されるものに価値を見出してモノを選んでくといいと思う。
人の意見にあまり踊らされないことは大事やね。
人付き合いもそう、他人がどう思おうと自分にとってその人がどうなのか
を基準にお付き合いする人間でありたいね。
ようちゃんは自分の心に正直にそして自分の心をとても大切に生きてるって
気がするよ。それはとっても素敵なことです。
Posted by menchan at 2007年01月11日 17:18
menchan

コメントありがとう~。
私も人の作った作品に対して、これはイマイチだなぁって思う事はしょっちゅうあるんだけど、それを面と向かって本人に言った事はないし、分かった様な事も言った事ない。
私の作った物は、一部の人にはすごく支持を受けたんだ。けなされる事と同じぐらいに。だから褒められる事も多かった。けど、褒められても、何故か嫌な気分になったり、「このセンスは理解出来ない」って言われても「それもそうだ・・」思って、全然嫌な気分にならなかったり・・・
要は自分の作品対して、一番よく分かっているのは自分なのに、褒められるにしても分かった様な事を言われるのが嫌だった。
素直に感じた事を言ってるか、分かったふりをしているか直感で分かるから。
ちなみに「子供の工作だ」って言われた作品は、「漆喰・初期の頃」って言う題名に載っている作品なんだ。でもそのおばさんとはそれから2時間ぐらいしゃべったんだけど、後になって、「これはずっと眺めていたら結構いいね」だって^^;どっちやねん。
人付き合いにおいても自分が安らぐ人といるのが一番だね。そういう面ではmenchanは幸せそうだからすごくいい選択をしたなぁって感じがするよ。
Posted by たいよう at 2007年01月12日 07:30
私は作る側でもあり買う側でもあり売る側でもあります

3つの観点から作品を平等にみた時、長い目でみると厳しく言われたことのほうが有りがたく感じる場合もあります

そのことによってもっと良い作品を作ろうと心が燃えるからです

私はブランドにはたいして興味をもちません

例えば人間国宝と呼ばれる方の作品とたいようさんの作品を並べられたとします

私なら迷わずにたいようさんのシーサーを買いますよ

すごく温かくて素直でどこかユーモラスで、それでいて芯が強いシーサー

それがたいようさんの作品の良さです

性格が良く現れていますね ☆

たいようさんの作品が小さいのならどこにでも置いて眺めることができる

庶民的で飾らないシーサー

たいようさんのシーサーを買いに行きたいです (^-^)v

どのお店に飾られているのでしょうか?
Posted by †ジャンヌダルク† at 2007年01月12日 14:25
ジャンヌダルクさん
    
厳しい目で物を言われた事がいい場合も沢山ありますね・・・私は、陶芸の工房の人達からもかなり厳しく言われて、それですごく上達して、勉強させてもらってとてもよかったと思っています。
人の意見を参考にするのもいい事ですが、自分がこう思うって事も大切にしないと、人の意見ばっかり聞いていると、自分の個性がなくなってしまいます・・・そのバランスが難しいと思います。
そう考えた結果、生意気ながらも、創作していない人の意見はあまり耳を傾けない事にしてたんです。
シーサー気に入ってもらえたみたいですごく嬉しいです。
今は漆喰ではあまり作っていないんですが、陶芸ではちょくちょく作っています。
売っても利益にならないので、最近はあまり店に出していないんですが、お渡しする事も出来ますよ(^^)
Posted by たいよう at 2007年01月12日 16:40
こんばんは ☆

たいようさんは物事をしっかりと考える方ですね

私が筆を持つ時は、悩み苦しんでいる友人を激励するために書くことがほとんどです

プロではなくただの素人です

誰かをおもいやって書いた字が一番美しいなと感じます

私の段をとる前に書いた作品『忍耐』はブログに載せています

タイトルは「忍耐という名の鎧」というエッセー。

色紙に書いてプレゼントすることがほとんどです

コンパクトで簡単に壁に飾ったり収納したりできますから。

今日は散歩しながら民家の門や屋根に飾られているシーサーもたいようさんの影響でついみていました

どのシーサーも個性的でいいのですが、たいようさんの作品には勝てないと思いました

それはなぜかと言うと人としての温かさや思いやりに欠けると思いました

どこか冷たい商品化されすぎたシーサーという感じがしたのです

私がもし家を建てたなら、たいようさんのシーサーを飾りたいし、部屋にも置きたいです

たいようさんのシーサーは人の心を笑顔で包みこんで癒したり和ませたりする力をもっています

私は那覇に住んでいますが、たいようさんは那覇から近い所で作っているのかしら?
Posted by †ジャンヌダルク† at 2007年01月12日 19:47
ジャンヌダルクさん
 
ありがとうございます(^^)そう言ってもらえたのは何より励みになります。
でも、実際の私は作風とは違って、しょっちゅう怒り、よく動揺する未熟な者です^^;
ジャンヌダルクさんのブログの書道の作品、拝見しましたが、私にはとても書けない字ですごいと思いましたが、あの作品は段を取る前の物なんですね・・
7段はすごいです。今の字を見て見たいです。
私は習字は小学校の頃に少し習っていて、19歳から23歳の間習っていましたが、5級ぐらいで辞めてしまいました。
私の書いた字も、カテゴリーが沖縄の絵画・書のもぐら庵っていう項目に載せています。
大量生産したらどうしてもいい物が作れなくなってしまいますね・・
正直言って、お金の為に部屋に引きこもって一人でもくもくとシーサーを作るより、外で働く方が何倍も楽しいです。
だから私はシーサー一筋ではやっていけないんです・・
私は昔は那覇に住んでいましたが、今は那覇よりかなり離れた場所に住んでいます。
Posted by たいよう at 2007年01月13日 09:32
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