2006年12月17日
もぐら庵
梅の花と言う店で、すごく素敵な絵を見つけたので、その人のギャラリーか何かがあればぜひ行きたいと思い、梅の花の人に、この絵を描いた人の事を教えて下さいと言って自分の連絡先を渡したら、次の日、その絵を描いた本人から電話が掛かって来てびっくりした。そして私も沖縄でシーサーを作っている旨を話したら、また数日後に、ものすごく味のある絵手紙が届いてめちゃくちゃ感激した。この絵があまりに素敵だったので、額に入れて飾っている。手紙なのに、文章と言い、一つの作品になっている所が本当にすごい。
ずっと飾っていても全然飽きない。
今までもらったどんな手紙よりも嬉しかった。
私もこんな絵を描く事は無理でも、字だけでもこういう字が書けないかと思って、筆で書いてみた。
歌詞の内容は、CoccoのHeaven’s hell。
私は子供の頃、習字を習っていたので、今までは習字の見本の様な堅い字しか書けなかったのだが、沖縄でシーサー修行をしていて、色々ないい作品を毎日見ている日々を送っていたら、ある日突然、今までとは全然違った字が書ける様になった。友達は私の字が変わって手紙をもらってびっくりしたらしい。
ずっと飾っていても全然飽きない。
今までもらったどんな手紙よりも嬉しかった。
私もこんな絵を描く事は無理でも、字だけでもこういう字が書けないかと思って、筆で書いてみた。
歌詞の内容は、CoccoのHeaven’s hell。
私は子供の頃、習字を習っていたので、今までは習字の見本の様な堅い字しか書けなかったのだが、沖縄でシーサー修行をしていて、色々ないい作品を毎日見ている日々を送っていたら、ある日突然、今までとは全然違った字が書ける様になった。友達は私の字が変わって手紙をもらってびっくりしたらしい。
2006年12月19日
風楽風遊
数年前の元旦に、陶芸の工房で一番仲の良かった友達の、関東への引っ越しを見送る為、那覇空港に行って、友達と別れ悲しい気持ちでいっぱいだった時、振り返ったら、この本の作者が展示即売していた。その書や絵があまりに素敵でほのぼのとしていて、一目でその作品が好きになって、喜んでいたら、本当は一枚500円なのに、だたで色々と書いてプレゼントしてくれた。私も何かお礼がしたいと思い、たまたま私の作品のゴーヤー君を持っていた事を思い出し、プレゼントして、私も物を作る仕事をしている旨を話したら、その人の絵のキャラクターを作って欲しいと言われた。
この本のすごい所は、沖縄弁の悪い言葉を、良い漢字に変換して、悪い事も良い事に変えてしまおうと言う発想。
例えば、フラーフージー(バカみたいな人)は、「風楽風自」、「バカになれる人ってスゴイ。自ら楽しい風を起す賢い人」と訳している。
色々な悪い意味の沖縄弁が見事に良い意味に変換されていて、その発想にただただ感心するばかり。
書は独学で、習字を習った事がないと言っていたが、何とも味のある、型にとらわれていない大らかな感じの筆跡。この本が1500円だと言うのも本当に安いと思った。

本を購入したので、本の裏に、私へ手書きの言葉と絵を描いてくれた。「ナンクルナイサ」とは沖縄弁で「なんとかなるさ」の意味。
この本のすごい所は、沖縄弁の悪い言葉を、良い漢字に変換して、悪い事も良い事に変えてしまおうと言う発想。
例えば、フラーフージー(バカみたいな人)は、「風楽風自」、「バカになれる人ってスゴイ。自ら楽しい風を起す賢い人」と訳している。
色々な悪い意味の沖縄弁が見事に良い意味に変換されていて、その発想にただただ感心するばかり。
書は独学で、習字を習った事がないと言っていたが、何とも味のある、型にとらわれていない大らかな感じの筆跡。この本が1500円だと言うのも本当に安いと思った。
本を購入したので、本の裏に、私へ手書きの言葉と絵を描いてくれた。「ナンクルナイサ」とは沖縄弁で「なんとかなるさ」の意味。
2006年12月20日
ガラスのランプ
杜山堂で見つけた、きれいなガラスがランプになっている。一目惚れして購入した。
昼間は電気を切っているが、夜は、ランプを付けて、階段を降りる事に、ほのかな幻想的な灯りが灯される。このガラスのランプは、アジアンショップでも見かけたので、多分沖縄製ではないと思う。
水色の土台に、カラフルな様々な色の壊れたガラスが散りばめられている。

こちらは、シンプルな黄色のみの色。
昼間は電気を切っているが、夜は、ランプを付けて、階段を降りる事に、ほのかな幻想的な灯りが灯される。このガラスのランプは、アジアンショップでも見かけたので、多分沖縄製ではないと思う。
水色の土台に、カラフルな様々な色の壊れたガラスが散りばめられている。
こちらは、シンプルな黄色のみの色。
2006年12月21日
漆喰中期の頃
この頃の作品は、初期の頃に比べると色がカラフルになって来て、店頭でも他のシーサーに色で負けてしまう事はなくなって来たが、悪い言い方をしたら、初期に比べて素朴さが少なくなって来た様に思う。
今、また漆喰で作品を作るとしたら、こういう色がカラフルな物ではなくて、もっともっと素朴な初期の頃の作品を作りたいと思うが、今はもう、多分どちらも作れない。
作品作りに重要なのは作っている時の感情で、もうあの頃の様な純粋な気持ちで心から作品作りを楽しむ事が出来ないからだ。何かのきっかけでまたあの頃の様な気持ちになれたら作れる時が来るかもしれない。
国際通りの玉城カメ商店の店長が買い取ってくれて、店頭に非売品として、飾られている(はず)の私のきじむなーくん。

さる年の時に作った、さるとだるまと鏡もち(+ごーやーくん)雪だるまのように見える物はちゃんと頭にミカンが乗っかってるから鏡もち・・^^;

自分の作品の中で、これだけは絶対に手放さないと言う強い決意を持っている作品のうちの一つ。
これは沖縄の昔ながらの風景を漆喰で作っただけ、それだけの事だけど、単なる単体のシーサーしか作れなかった私が、この作品を作る為に、色々な資料を見て、かなりアイデアを搾ってやっと完成した。
今、また漆喰で作品を作るとしたら、こういう色がカラフルな物ではなくて、もっともっと素朴な初期の頃の作品を作りたいと思うが、今はもう、多分どちらも作れない。
作品作りに重要なのは作っている時の感情で、もうあの頃の様な純粋な気持ちで心から作品作りを楽しむ事が出来ないからだ。何かのきっかけでまたあの頃の様な気持ちになれたら作れる時が来るかもしれない。
国際通りの玉城カメ商店の店長が買い取ってくれて、店頭に非売品として、飾られている(はず)の私のきじむなーくん。
さる年の時に作った、さるとだるまと鏡もち(+ごーやーくん)雪だるまのように見える物はちゃんと頭にミカンが乗っかってるから鏡もち・・^^;
自分の作品の中で、これだけは絶対に手放さないと言う強い決意を持っている作品のうちの一つ。
これは沖縄の昔ながらの風景を漆喰で作っただけ、それだけの事だけど、単なる単体のシーサーしか作れなかった私が、この作品を作る為に、色々な資料を見て、かなりアイデアを搾ってやっと完成した。
2006年12月22日
ウコン茶
ウコン茶はお酒の悪酔いさましに飲むと効果がある事で有名。
私もお酒を飲んだ後には必ずウコン茶を飲んでいた。このお茶を飲めば酔いがすーと覚めて行く。お酒を飲まない時でも、体調の悪い時にこれを飲むと、すごく体の調子が良くなる。
前日に飲めば、次の日、体が本当に楽。特に食欲のない時など、ウコン茶を飲んで体調管理している。
おすすめは、比嘉製茶の春ウコン。気のせいかどうか分からないが、他のウコン茶に比べるとこの比嘉製茶の春ウコンを飲んだ時に限って調子がいい。
この春ウコンは、平和通りでは100パック2000円、国際通りでは100パック3000円、定価は3000円。沖縄以外の、沖縄物産展では10パック500円で売っていた。
色は黄色で、味はかなり苦いが、慣れるとその苦さがおいしく感じるから不思議。英語ではターメリックと呼ばれ、カレーの材料などに使われる。
右の、醗酵ウコン茶は、苦くなくて、まろやかな味。ノンカフェィンなのも嬉しい。
私もお酒を飲んだ後には必ずウコン茶を飲んでいた。このお茶を飲めば酔いがすーと覚めて行く。お酒を飲まない時でも、体調の悪い時にこれを飲むと、すごく体の調子が良くなる。
前日に飲めば、次の日、体が本当に楽。特に食欲のない時など、ウコン茶を飲んで体調管理している。
おすすめは、比嘉製茶の春ウコン。気のせいかどうか分からないが、他のウコン茶に比べるとこの比嘉製茶の春ウコンを飲んだ時に限って調子がいい。
この春ウコンは、平和通りでは100パック2000円、国際通りでは100パック3000円、定価は3000円。沖縄以外の、沖縄物産展では10パック500円で売っていた。
色は黄色で、味はかなり苦いが、慣れるとその苦さがおいしく感じるから不思議。英語ではターメリックと呼ばれ、カレーの材料などに使われる。
右の、醗酵ウコン茶は、苦くなくて、まろやかな味。ノンカフェィンなのも嬉しい。
2006年12月23日
乙姫サンダル
那覇の物産展で店番をやっていた時に、初めてこのサンダルの存在を知った。私は乙姫サンダルの隣の店で店番をやっていたので、店の人から色々と話を聞く事が出来た。店番をしている間も、お客さんがいない時にはちょくちょく店番をさぼって、このサンダルを眺めていて、欲しいなぁと思っていたが、結局その時は買わなくて、数ヶ月後に、国際通りの杜山堂で購入した。
この乙姫サンダルの直売所は、沖縄本島内に2カ所しかなくて、作ってもすぐに売り切れるらしくて、直売所以外で、卸している店は杜山堂しかないらしい。
直売所にも行ったが、ほとんど品切れ状態で、これだと言うものが見つからなくて、杜山堂でかわいい色合いの物を見つけたので、購入した。水色のヒモがGパンによく合うし、ピンクのヒモのアクセントがすごくかわいい。
このサンダルを購入して、もう3年半にもなるが、未だに全然色あせない。高価な物なので、お出かけの時にしか履かない。
この店は、日傘も販売していて、その日傘も常に注文待ち状態らしい。日傘もすごく素敵な生地を使っていて、可愛かった。
この乙姫サンダルの直売所は、沖縄本島内に2カ所しかなくて、作ってもすぐに売り切れるらしくて、直売所以外で、卸している店は杜山堂しかないらしい。
直売所にも行ったが、ほとんど品切れ状態で、これだと言うものが見つからなくて、杜山堂でかわいい色合いの物を見つけたので、購入した。水色のヒモがGパンによく合うし、ピンクのヒモのアクセントがすごくかわいい。
このサンダルを購入して、もう3年半にもなるが、未だに全然色あせない。高価な物なので、お出かけの時にしか履かない。
この店は、日傘も販売していて、その日傘も常に注文待ち状態らしい。日傘もすごく素敵な生地を使っていて、可愛かった。
2006年12月28日
島ぞーり
沖縄に移住したのは11月だったので、その時はそんなに暑くなく、私はずっと運動靴を履いて仕事をしていたのだが、4月ともなればもう暑くて運動靴は履けなくなった。ちなみに陶芸の工房で運動靴を履いていた人は一人もいなかった。私が4月になっても運動靴を履いていると、色々な人から「何でそんな暑い靴履いているの」と言われた^^;運動靴を履いて色々な人から疑問に思われるのはおそらく沖縄ぐらいな物だろう・・・
その代わりに履きだしたのが島ぞーり。うちなーんちゅなら誰でも一回は履いた事があるのではと思う。実はこの島ぞーり、値段は他のビーチサンダルに比べるとちょっと割高。デザインもシンプル。なのに、何故かみんなこの島ぞーりを愛用している。
島ぞーりの愛用者として特に印象的なのがCocco。写真集を見ても、CDのジャケットをみても、テレビに映っている姿を見ても、上に着ている服がどんな服であろうといつも島ぞーりを履いている。
Coccoはいつも、黄色のヒモに、白い島ぞーりを履いている。
彼女が履くととてもおしゃれに見える。
一度、真冬に内地の実家に帰った事があったが、沖縄でのそのままの格好で島ぞーりで寒い内地に帰ったらみんなにものすごく驚かれた。今思えば当たり前なのだが・・・
島ぞーりはシンプルなデザインがいい。変に柄が入っていない所がいい。
その代わりに履きだしたのが島ぞーり。うちなーんちゅなら誰でも一回は履いた事があるのではと思う。実はこの島ぞーり、値段は他のビーチサンダルに比べるとちょっと割高。デザインもシンプル。なのに、何故かみんなこの島ぞーりを愛用している。
島ぞーりの愛用者として特に印象的なのがCocco。写真集を見ても、CDのジャケットをみても、テレビに映っている姿を見ても、上に着ている服がどんな服であろうといつも島ぞーりを履いている。
Coccoはいつも、黄色のヒモに、白い島ぞーりを履いている。
彼女が履くととてもおしゃれに見える。
一度、真冬に内地の実家に帰った事があったが、沖縄でのそのままの格好で島ぞーりで寒い内地に帰ったらみんなにものすごく驚かれた。今思えば当たり前なのだが・・・
島ぞーりはシンプルなデザインがいい。変に柄が入っていない所がいい。

2006年12月31日
陶器祭り
沖縄の陶芸が好きな者にとって、陶器祭りほど心がわくわくするお祭りはない。陶器祭りには沖縄中の色々な窯元から作家さん達が集まっていて、直接作家さんから陶器を購入できるだけでなく、裏話も聞けたり、さらに普通のお土産屋よりかなり安く購入出来る事が何より嬉しい。
私も陶器祭りの店番をやった事があるが、周りにあまりに面白い陶器が沢山販売されていたので、店番をほったらかして、思わず色々陶器を物色してしまったら、同じ工房の人に注意された程。
陶器祭りは、祭りの開催期間の最後の方になればなるほど、だんだんと値段が安くなるのが特徴。
祭りの最後になれば、信じられない程の掘り出し物が見つかる。半額は当たり前だし、それ以下で買える事も珍しくない。
こんな大きくて素敵なコップが一個たったの100円だった。ここまで安い理由は、裏に「退職記念自立労連」と彫ってあるから。
私も陶器祭りの店番をやった事があるが、周りにあまりに面白い陶器が沢山販売されていたので、店番をほったらかして、思わず色々陶器を物色してしまったら、同じ工房の人に注意された程。
陶器祭りは、祭りの開催期間の最後の方になればなるほど、だんだんと値段が安くなるのが特徴。
祭りの最後になれば、信じられない程の掘り出し物が見つかる。半額は当たり前だし、それ以下で買える事も珍しくない。
こんな大きくて素敵なコップが一個たったの100円だった。ここまで安い理由は、裏に「退職記念自立労連」と彫ってあるから。
2007年01月05日
沖縄移住本
沖縄に移住する前に私は沖縄関連の本を読みあさっていて、だいたい30冊は読んだ。それらの読み物は、どれも非常に面白く、中でも興味を引いたのが、沖縄と内地との違いのカルチャーショックを書いた沖縄移住本。これらの本の作者の殆どは、私と同じように沖縄病にとりつかれた、内地から沖縄に移住した人が書かれている。私はそういう関連の本を読む度に、沖縄って何て面白くて、個性的で、魅力的な場所なんだろうと、沖縄病がますます悪化していって、新しい本が出る度に買っていた。
実際に沖縄に移住してからも、そういう関連の本に目を通していたのだが、ある日突然、一切の沖縄と内地のカルチャーショックを描いた本は読まなくなった。自分にとって沖縄の真実とは、私が体験した沖縄が全てであり、他人が体験した沖縄には興味がなくなったからだ。
正直、私は沖縄に移住する頃にはもうかなりの沖縄通になっていて、自分で新たな沖縄を発見すると言う事がほとんどなくなってしまっていた。知識と心構えがあって、沖縄に住んで誰もが体験するカルチャーショックをあまり体験出来なかった。
それは自分にとってすごく残念な事だと思う。カルチャーショックを描いた本の全てが悪いと言う訳ではなく、読み物として充分に楽しめる本である事は間違いないが、沖縄の事をオーバーに、そしておもしろおかしく書きすぎている気がする。
中にはおもしろおかしく書いていない本もある。そういう本を読むのはいいが、オーバーにおもしろおかしく書いている本を読むのはあまりおすすめ出来ない。
それでも沖縄に住んでいない人にとっては、どれが良い本なのか悪い本なのか分からないと思うし、何が真実なのか調べようがないと思う。
私は、あまりに沢山のカルチャーショックを描いた本を読みまくった事を後悔している。変な固定観念がついてしまったから。沖縄と内地の違いは、自分の目で発見したかったが、これだけメディアが普及した今となっては、それは仕方のない事なのかもしれない。
実際に沖縄に移住してからも、そういう関連の本に目を通していたのだが、ある日突然、一切の沖縄と内地のカルチャーショックを描いた本は読まなくなった。自分にとって沖縄の真実とは、私が体験した沖縄が全てであり、他人が体験した沖縄には興味がなくなったからだ。
正直、私は沖縄に移住する頃にはもうかなりの沖縄通になっていて、自分で新たな沖縄を発見すると言う事がほとんどなくなってしまっていた。知識と心構えがあって、沖縄に住んで誰もが体験するカルチャーショックをあまり体験出来なかった。
それは自分にとってすごく残念な事だと思う。カルチャーショックを描いた本の全てが悪いと言う訳ではなく、読み物として充分に楽しめる本である事は間違いないが、沖縄の事をオーバーに、そしておもしろおかしく書きすぎている気がする。
中にはおもしろおかしく書いていない本もある。そういう本を読むのはいいが、オーバーにおもしろおかしく書いている本を読むのはあまりおすすめ出来ない。
それでも沖縄に住んでいない人にとっては、どれが良い本なのか悪い本なのか分からないと思うし、何が真実なのか調べようがないと思う。
私は、あまりに沢山のカルチャーショックを描いた本を読みまくった事を後悔している。変な固定観念がついてしまったから。沖縄と内地の違いは、自分の目で発見したかったが、これだけメディアが普及した今となっては、それは仕方のない事なのかもしれない。
2007年01月06日
沖縄色の部屋
沖縄の雑貨を沢山集めていたらいつの間にかこんな部屋が出来上がった・・・
この雑貨の多さは小さな民芸屋でも開けそうな程。
今までの部屋は作りかけのシーサーや、あまり気に入っていない作品があちこちに散らばっていて、物が多すぎて居心地の悪い部屋だったが、年末に友人が来るので未完成な物は全て押入に・・・
するとなかなか居心地のいい部屋になった。
この窓辺の浮き玉や、陶器のネックレスは、窓辺に飾ってもきれいだが、服に付けて楽しむ事も出来る私が一番気に入っている空間。

琉球ガラスがきれい。沢山買いすぎたと思ったけど、こうやってちゃんと並べると買って良かったと思う。下にひいている布はウージ染め。

私の作品達も勢揃い。

もう一つの窓辺。ウージ染めのタペストリーや、大きい玉城焼きのお面が窓辺を引き立てている。ウージ染めのカバンは見せながら収納。
この雑貨の多さは小さな民芸屋でも開けそうな程。
今までの部屋は作りかけのシーサーや、あまり気に入っていない作品があちこちに散らばっていて、物が多すぎて居心地の悪い部屋だったが、年末に友人が来るので未完成な物は全て押入に・・・
するとなかなか居心地のいい部屋になった。
この窓辺の浮き玉や、陶器のネックレスは、窓辺に飾ってもきれいだが、服に付けて楽しむ事も出来る私が一番気に入っている空間。
琉球ガラスがきれい。沢山買いすぎたと思ったけど、こうやってちゃんと並べると買って良かったと思う。下にひいている布はウージ染め。
私の作品達も勢揃い。
もう一つの窓辺。ウージ染めのタペストリーや、大きい玉城焼きのお面が窓辺を引き立てている。ウージ染めのカバンは見せながら収納。
2007年01月07日
夢から来た景色
数多い沖縄の写真集の中でも、珍しい白黒の写真集。
写されている対象は、半分以上が沖縄の人物。
沖縄の原風景や、祭り、日常生活の人々の写真が生き生きと描かれている。
人物に続いて多いのが、動物の写真。
白黒写真の為か、どこか古き良き時代を思わせる。撮影年月日は、1988年から2000年。

写真集は買えなくても、手頃に買えるのがこのポストカード集。「夢から来た景色」の特にいい写真ばかりが凝縮されてセットになっている。
写されている対象は、半分以上が沖縄の人物。
沖縄の原風景や、祭り、日常生活の人々の写真が生き生きと描かれている。
人物に続いて多いのが、動物の写真。
白黒写真の為か、どこか古き良き時代を思わせる。撮影年月日は、1988年から2000年。
写真集は買えなくても、手頃に買えるのがこのポストカード集。「夢から来た景色」の特にいい写真ばかりが凝縮されてセットになっている。
2007年01月08日
シーサー教室の講師
陶芸の工房に入って、初めて一日体験シーサー教室の講師をさせられたのは、入門して2週間目の事だった。来週からは講師もやってもらうから・・・と先生の口から聞いた時は聞き間違えかと思った。
私は必死で人に教える為のシーサーの作り方をメモを取って、自分一人で出来る様に何回も同じ物を作って何とか、メモを見ながら人に作り方を教えるまでになった。
初めてのお客さんは、すごくいい人だった。私は必死でまだ入門して2週間しか経っていない事をばれない様に、ばれない様に取りつくろって教えたので、その必死さが伝わって、丁寧に教えた為か、「今ではこんなシーサーの講師までされてねぇ・・・」とのとんでもないお言葉を頂いてしまった。しかもその時は、「先生」とまで呼ばれた^^;まだ入門して2週間しか経っていない事はばれなくて、満足して帰ってもらえた様に思う。今思えば、それ以来何度も講師の仕事をしたが、この日、教えた人達に対して、一番いい仕事が出来たのではないかと思う。私自身の技術や知識は未熟でも、一生懸命に教えたらその熱意は伝わる物なのかもしれないし、何より自分が出来ないから、生徒さんの気持ちも分かって教える事が出来たのかもしれない。
私はこのシーサー教室の講師の仕事が大好きだった。順番で教えていたが、その順番が回って来るのが楽しみで仕方なかった。何故、楽しかったと言うと、普段は伝統的なシーサーを作っていたが、この講師の仕事の時は、人に教えながらでも、自分のオリジナル作品が作れる時間が出来るからだ。
でも、そんな気持ちで講師はやってはいけなかったと思う。ただあの時は、自分のオリジナル作品が作れる時間が密かに嬉しくて仕方なかった。素人さんに教えるのはすごく楽しい。生徒さんのほとんどは技術や知識がないので、その作品は斬新な物ばかり。私はいつも生徒さんの作品から何かいいアイデアがないか模索しながら作っていた。生徒さんからはすごくいいアイデアと刺激をもらったと思う。
一番年下の子で、4歳ぐらいの子供も参加していた。小学生の男の子で、プロ顔負けのものすごく立派なシーサーを作った子もいた。
このシーサーは、作り方は伝統的なシーサーに比べてとても単純で簡単。作り方さえ教えれば誰でも形になる。
両方とも、シーサー教室の講師をしながら、人に教えながら作った作品。
特に左の作品は、7人ぐらいの小学生を相手に作ったので、さすがに教えるので必死で集中出来なかったが、思いがけず可愛らしいシーサーが出来上がったので、気に入って持って帰ってきた。
私は必死で人に教える為のシーサーの作り方をメモを取って、自分一人で出来る様に何回も同じ物を作って何とか、メモを見ながら人に作り方を教えるまでになった。
初めてのお客さんは、すごくいい人だった。私は必死でまだ入門して2週間しか経っていない事をばれない様に、ばれない様に取りつくろって教えたので、その必死さが伝わって、丁寧に教えた為か、「今ではこんなシーサーの講師までされてねぇ・・・」とのとんでもないお言葉を頂いてしまった。しかもその時は、「先生」とまで呼ばれた^^;まだ入門して2週間しか経っていない事はばれなくて、満足して帰ってもらえた様に思う。今思えば、それ以来何度も講師の仕事をしたが、この日、教えた人達に対して、一番いい仕事が出来たのではないかと思う。私自身の技術や知識は未熟でも、一生懸命に教えたらその熱意は伝わる物なのかもしれないし、何より自分が出来ないから、生徒さんの気持ちも分かって教える事が出来たのかもしれない。
私はこのシーサー教室の講師の仕事が大好きだった。順番で教えていたが、その順番が回って来るのが楽しみで仕方なかった。何故、楽しかったと言うと、普段は伝統的なシーサーを作っていたが、この講師の仕事の時は、人に教えながらでも、自分のオリジナル作品が作れる時間が出来るからだ。
でも、そんな気持ちで講師はやってはいけなかったと思う。ただあの時は、自分のオリジナル作品が作れる時間が密かに嬉しくて仕方なかった。素人さんに教えるのはすごく楽しい。生徒さんのほとんどは技術や知識がないので、その作品は斬新な物ばかり。私はいつも生徒さんの作品から何かいいアイデアがないか模索しながら作っていた。生徒さんからはすごくいいアイデアと刺激をもらったと思う。
一番年下の子で、4歳ぐらいの子供も参加していた。小学生の男の子で、プロ顔負けのものすごく立派なシーサーを作った子もいた。
このシーサーは、作り方は伝統的なシーサーに比べてとても単純で簡単。作り方さえ教えれば誰でも形になる。
両方とも、シーサー教室の講師をしながら、人に教えながら作った作品。
特に左の作品は、7人ぐらいの小学生を相手に作ったので、さすがに教えるので必死で集中出来なかったが、思いがけず可愛らしいシーサーが出来上がったので、気に入って持って帰ってきた。
2007年01月09日
シーサー職人として食べて行く事
私が漆喰シーサーに転向した時に、ある有名なシーサー職人さんと話をする事が出来た。その人が言うには、「シーサーを作って食べて行くには、本当に好きか、これしか出来ないか、両方無いと絶対にやっていけない、それぐらい厳しい世界だ」と何度も言われた。正直、私はその時それを聞いて「これから希望に満ちて新しい事をやろうとしている人に対して、希望がなくなるような、何て事を言うんだろう・・」とちょっと反感を感じたが、今となってはその言葉の意味がよく理解出来る。
私はシーサーが好きだ、それには当てはまっている。けれども、見るのが好きであって、作るのが本当に好きだと言われれば自信がないし、「これしか出来ない・・・」これには当てはまらなかった・・・9年ぐらい事務の仕事をしていたので、こんな苦労をしなくても、もっともっと簡単に、楽に稼げる方法を知ってしまっていた。
シーサー作りは楽しい。けれども、それは遊びで作っている場合だけ楽しい。同じ物を何個も何個も、店からの注文だからと言って作るのは、私にとって苦痛でしかなかった。
そんな気持ちでシーサーを作っていたら、作品の質がどんどん落ちてきた。
私の作品は小さい物が多いので、月に10万円稼ごうと思ったら、100個は作らないといけない、それを毎月継続して注文を取る事なんてかなり難しいのに、作るのはもっともっと難しい。
当時の私は作品に対してあまりに細かい事にこだわりすぎていたと言う事もあって、2週間かけて必死で作った作品の利益が15000円にも満たない金額だったと言う事もあったし、それでも店から散々文句を言われた。
そんな事が色々と重なって、もう、シーサー一筋で食べて行こうと言う考えは捨てる事にした。
私はシーサーが好きだ、それには当てはまっている。けれども、見るのが好きであって、作るのが本当に好きだと言われれば自信がないし、「これしか出来ない・・・」これには当てはまらなかった・・・9年ぐらい事務の仕事をしていたので、こんな苦労をしなくても、もっともっと簡単に、楽に稼げる方法を知ってしまっていた。
シーサー作りは楽しい。けれども、それは遊びで作っている場合だけ楽しい。同じ物を何個も何個も、店からの注文だからと言って作るのは、私にとって苦痛でしかなかった。
そんな気持ちでシーサーを作っていたら、作品の質がどんどん落ちてきた。
私の作品は小さい物が多いので、月に10万円稼ごうと思ったら、100個は作らないといけない、それを毎月継続して注文を取る事なんてかなり難しいのに、作るのはもっともっと難しい。
当時の私は作品に対してあまりに細かい事にこだわりすぎていたと言う事もあって、2週間かけて必死で作った作品の利益が15000円にも満たない金額だったと言う事もあったし、それでも店から散々文句を言われた。
そんな事が色々と重なって、もう、シーサー一筋で食べて行こうと言う考えは捨てる事にした。
2007年01月10日
物を見る目
陶芸の工房にいた時に、那覇のお土産屋のほとんどの店に声をかけて、一軒一軒回って、売り込みに行ったので、その時の経験から、どの店がどういう考えをしていて、どういう人が働いているかと言う事がよく分かってきた。話をする相手は殆どがそのお店の経営者なので、社長と常務と私とで話す事なども度々あった。この事はとても良い経験だったと思う。
その時に一番強く感じた事は、店の人の大半は、ただ「毎日これを売っているから」たったそれだけの理由で自分は物を見る目が、作っている人より勝っていると思いこんでいる人がとても多かった。
だから私は色々な店の人に好き勝手なアドバイスをされたが、正直、物を売っているだけの人の意見を参考にする気など初めからなかったので、素直に返事だけしておいて全く話は聞いていなかった。
ただ、それを黙って聞く事によって、自分が独立した時にどういう店に売り込みに行けばいいのか参考にはなった。
色んな人の意見を黙って聞いておいて、その時に、私は店の人からどれほどプライドを傷つけられたか分からない。自分で物を見る目があると思いこんでいる人ほど、信じられない無神経な事を平気で言う。それも、一目見ただけで、簡単に感想を述べる。
自分の作品だけでなく、同じ工房の人の作品も持って行っていたが、「こんなの売れない・・・」このぐらいの事は普通にある事でなんでもないが、「まだ幼さが抜けきらないですね・・」と平然と言われた事もある。「これはどこが悪かったでしょうか」と言って、「目はこうした方がいい、鼻はこうした方がいい・・・」等、あまりに見下した態度を取られた時はさすがに、「それは今作っていないので・・・」と一言言って無視した。
ある、伝統的な民芸屋の60歳ぐらいの女性の方もいて、その人も自分で見る目があると思いこんでいる人だった。その人から、私が漆喰シーサーに独立した事を話すと、作品持っておいでって言われて、多分、その人には絶対に理解されないと思いつつも、持って行ったが、やはり思った通り、一目見るなり「あなたも独立したいんならこんな作風じゃだめだ、これは子供の工作だね」と言われた。
伝統的なシーサーを好む人に、私の作品は絶対に理解出来ないと思うし、理解してもらう必要もない。肝心なのは、物を見る目ではなくて、物を感じる心だと思う。
人間国宝が作ったのか、その子孫が作った作品なのか・・・その区別が付くか付かないかなど、鑑定士でもない限りそんな見る目は必要ないし、いい物か悪い物かより、その作品を見て、どれほど心をときめかせる事が出来るか・・・その事が一番大事だと思う。
例えばキティちゃんグッズが好きで、それを見て心が安らぐなら、それでいいと思う。プラスチックで大量生産された雑貨に、芸術的な価値はないかもしれないが、そもそも雑貨自体、心がほんわかした気持ちになる為に存在する物で、それを感じる心がない人もいる。
また、見る目があると思いこんでいる店に限って、大した品揃えではない。品揃えのいい、素晴らしい雑貨を沢山置いていて、インテリアにもこだわっている人が経営している店の人と言うのは、簡単に人の作品を批判しないし、「物を売っている」だけの人間より「作っている人」の方が、どれほど作品に対して思い入れがあるかを分かっている。
私が沖縄の民芸屋で一番好きな店の若い女性の店員にはこう言われた。「作っている人にはかなわない・・」と。そんな考えをしているなんて珍しいなぁと思って、私が今までに他の店の人から何度も批判されて来た旨を話すとすごくびっくりされた。
それで私は、漆喰に独立した時には、もう無駄な事はしなかった。数軒の、本当に雑貨が好きで経営している、感じる心を持っている店長のいる店にしか作品を持って行かなかった。
質の高い物より、どれだけその作品から幸せをもらえるか・・そういう基準で物を選びたいと思う。
その時に一番強く感じた事は、店の人の大半は、ただ「毎日これを売っているから」たったそれだけの理由で自分は物を見る目が、作っている人より勝っていると思いこんでいる人がとても多かった。
だから私は色々な店の人に好き勝手なアドバイスをされたが、正直、物を売っているだけの人の意見を参考にする気など初めからなかったので、素直に返事だけしておいて全く話は聞いていなかった。
ただ、それを黙って聞く事によって、自分が独立した時にどういう店に売り込みに行けばいいのか参考にはなった。
色んな人の意見を黙って聞いておいて、その時に、私は店の人からどれほどプライドを傷つけられたか分からない。自分で物を見る目があると思いこんでいる人ほど、信じられない無神経な事を平気で言う。それも、一目見ただけで、簡単に感想を述べる。
自分の作品だけでなく、同じ工房の人の作品も持って行っていたが、「こんなの売れない・・・」このぐらいの事は普通にある事でなんでもないが、「まだ幼さが抜けきらないですね・・」と平然と言われた事もある。「これはどこが悪かったでしょうか」と言って、「目はこうした方がいい、鼻はこうした方がいい・・・」等、あまりに見下した態度を取られた時はさすがに、「それは今作っていないので・・・」と一言言って無視した。
ある、伝統的な民芸屋の60歳ぐらいの女性の方もいて、その人も自分で見る目があると思いこんでいる人だった。その人から、私が漆喰シーサーに独立した事を話すと、作品持っておいでって言われて、多分、その人には絶対に理解されないと思いつつも、持って行ったが、やはり思った通り、一目見るなり「あなたも独立したいんならこんな作風じゃだめだ、これは子供の工作だね」と言われた。
伝統的なシーサーを好む人に、私の作品は絶対に理解出来ないと思うし、理解してもらう必要もない。肝心なのは、物を見る目ではなくて、物を感じる心だと思う。
人間国宝が作ったのか、その子孫が作った作品なのか・・・その区別が付くか付かないかなど、鑑定士でもない限りそんな見る目は必要ないし、いい物か悪い物かより、その作品を見て、どれほど心をときめかせる事が出来るか・・・その事が一番大事だと思う。
例えばキティちゃんグッズが好きで、それを見て心が安らぐなら、それでいいと思う。プラスチックで大量生産された雑貨に、芸術的な価値はないかもしれないが、そもそも雑貨自体、心がほんわかした気持ちになる為に存在する物で、それを感じる心がない人もいる。
また、見る目があると思いこんでいる店に限って、大した品揃えではない。品揃えのいい、素晴らしい雑貨を沢山置いていて、インテリアにもこだわっている人が経営している店の人と言うのは、簡単に人の作品を批判しないし、「物を売っている」だけの人間より「作っている人」の方が、どれほど作品に対して思い入れがあるかを分かっている。
私が沖縄の民芸屋で一番好きな店の若い女性の店員にはこう言われた。「作っている人にはかなわない・・」と。そんな考えをしているなんて珍しいなぁと思って、私が今までに他の店の人から何度も批判されて来た旨を話すとすごくびっくりされた。
それで私は、漆喰に独立した時には、もう無駄な事はしなかった。数軒の、本当に雑貨が好きで経営している、感じる心を持っている店長のいる店にしか作品を持って行かなかった。
質の高い物より、どれだけその作品から幸せをもらえるか・・そういう基準で物を選びたいと思う。
2007年01月12日
三線
沖縄に住んだらシーサーの他にまず習いたいと思ったのが三線。三線を習っている人に聞いたら、三線は自己流で練習したら変なクセが付くから絶対に自己流でやってはダメだそうだ。だから私は三線を始める時は、人に習って習得しようと思って、実家でも三線を練習したかったが、それはやめた。
この三線は、私の家の近くの三線屋さんに、ほぼ原価で譲ってもらった物。
沖縄に引っ越して、しばらく忙しかったので、落ち着いたら習おうと思っていて、引っ越しして3ヶ月ほど経った頃に購入した。だからその時既に、三線屋さんに、三線教室の下見に連れて行ってもらったり、ちょくちょく顔を覗いたりしていたので、顔見知りになっていた。
私が予算は2万5千円だと言うと、本来なら5万円以上する、裏も表も蛇革の本物の三線を2万5千円で、三線ケースまで付けてくれた。沖縄には本当に優しい人が多い。
三線教室を色々調べたら、本格的にきちんと手とり足とり教えてくれる教室は、月5千円と、ちょっと私にとってはきつい金額。公設市場近くで、3000円で習える所にも下見に行ったが、手とり足とりではなかった。それで私が決めたのは、公民館でやっている三線サークル。ここは、月1000円と、ほとんどお茶代だけの出費。もちろん手とり足とり教えてはくれないが、色々とアドバイスしてくれた。
三線を買ったばかりの私は、必死で暇さえあれば練習して、楽譜がなんとなく読める様になったが、ふと、ある重大な事に気が付いた。
三線は、唄と一緒に弾く物で、歌が上手くないと、いくら三線だけ弾けてもきまらないと言う事に・・・
楽器は、練習次第である程度まで上達すると思う。けれども、歌と言うのは、持って生まれた才能が大幅に影響するのではないかと思う。いくらどれだけ練習しても歌はなかなか上手くならないし、下手な人は下手で、うまくならない。私も三線を弾きながら歌ってみたが、どうしてもかっこ悪い。
歌が上手くて三線も上手な人を見ると本当に尊敬する。
そういう訳で、結局三線教室に通ったのは、たったの1ヶ月ほどで行かなくなってしまった・・・(><)
いつかそのうちまた習おう習おうと思っていたが、もう何年間も三線をさわっていない・・・
子供の頃も色々楽器を習った事があるが、ちっとも上達しなかったので、私にとって音楽は聴く物であって、自分で演奏する物ではないのかなとも思う。
でも、私の買った三線の音色は本当にいい音色で、せっかくいい物を手に入れたのだからいつかまた練習する日が来るかもしれない。
ちなみに、カンカラ三線(あき缶の三線)は、音色が蛇革の物と比べて全然違う音色なのに、値段はそんなに安くない。これを買うなら、少々高くても、両面蛇革じゃなくても、普通の三線を買った方がいいと思う。
この三線は、私の家の近くの三線屋さんに、ほぼ原価で譲ってもらった物。
沖縄に引っ越して、しばらく忙しかったので、落ち着いたら習おうと思っていて、引っ越しして3ヶ月ほど経った頃に購入した。だからその時既に、三線屋さんに、三線教室の下見に連れて行ってもらったり、ちょくちょく顔を覗いたりしていたので、顔見知りになっていた。
私が予算は2万5千円だと言うと、本来なら5万円以上する、裏も表も蛇革の本物の三線を2万5千円で、三線ケースまで付けてくれた。沖縄には本当に優しい人が多い。
三線教室を色々調べたら、本格的にきちんと手とり足とり教えてくれる教室は、月5千円と、ちょっと私にとってはきつい金額。公設市場近くで、3000円で習える所にも下見に行ったが、手とり足とりではなかった。それで私が決めたのは、公民館でやっている三線サークル。ここは、月1000円と、ほとんどお茶代だけの出費。もちろん手とり足とり教えてはくれないが、色々とアドバイスしてくれた。
三線を買ったばかりの私は、必死で暇さえあれば練習して、楽譜がなんとなく読める様になったが、ふと、ある重大な事に気が付いた。
三線は、唄と一緒に弾く物で、歌が上手くないと、いくら三線だけ弾けてもきまらないと言う事に・・・
楽器は、練習次第である程度まで上達すると思う。けれども、歌と言うのは、持って生まれた才能が大幅に影響するのではないかと思う。いくらどれだけ練習しても歌はなかなか上手くならないし、下手な人は下手で、うまくならない。私も三線を弾きながら歌ってみたが、どうしてもかっこ悪い。
歌が上手くて三線も上手な人を見ると本当に尊敬する。
そういう訳で、結局三線教室に通ったのは、たったの1ヶ月ほどで行かなくなってしまった・・・(><)
いつかそのうちまた習おう習おうと思っていたが、もう何年間も三線をさわっていない・・・
子供の頃も色々楽器を習った事があるが、ちっとも上達しなかったので、私にとって音楽は聴く物であって、自分で演奏する物ではないのかなとも思う。
でも、私の買った三線の音色は本当にいい音色で、せっかくいい物を手に入れたのだからいつかまた練習する日が来るかもしれない。
ちなみに、カンカラ三線(あき缶の三線)は、音色が蛇革の物と比べて全然違う音色なのに、値段はそんなに安くない。これを買うなら、少々高くても、両面蛇革じゃなくても、普通の三線を買った方がいいと思う。

2007年01月13日
やどかり
今日、街で思いがけずきれいな色の貝殻を見つけたので、久し振りに漆喰でやどかりを作っみた。
こんなきれいなピンクの色の貝殻は初めて見たので、一目惚れして買った。
このやどかりが乾燥するのは3日間。それから色を塗るつもりだが、このやどかりは素材の良さを活かして、あまり派手な色にならないように、色を抑えて仕上げるつもり。
やどかりの髪の毛(?)らしき部分を何色にしようか迷っている。
ピンクにしたらちょっとくどいかなぁと思うが、ピンクの貝殻にはやっぱりピンクが似合うのかなとも思う。薄い水色や緑も良さそう。
こんなきれいなピンクの色の貝殻は初めて見たので、一目惚れして買った。
このやどかりが乾燥するのは3日間。それから色を塗るつもりだが、このやどかりは素材の良さを活かして、あまり派手な色にならないように、色を抑えて仕上げるつもり。
やどかりの髪の毛(?)らしき部分を何色にしようか迷っている。
ピンクにしたらちょっとくどいかなぁと思うが、ピンクの貝殻にはやっぱりピンクが似合うのかなとも思う。薄い水色や緑も良さそう。

2007年01月14日
やどかり色塗り
本来なら完全に乾かしてからする色塗りを、今半乾きのまま塗ってしまった・・・
半乾きの時に色を塗ると、乾燥した時に、塗った時より、色が若干、はげた感じになる。
だから今までは完全に乾かしてから色を塗っていたのだが、自然に色がはげた感じがどんな風にななるかもう一度見たくて、塗ってみた。
色は、薄い紫にした。ピンクは可愛らしすぎるし、適当に選んだ紫の絵の具がとても気に入ったので、本当は4個全部違う色にしようと思っていたが、全て薄紫にした。
ピンクの貝殻、全部で10個購入したが、10個とも全部作ってしまった。
これを作っていたらすごく心が落ち着いた。
以前に、嫌々ながら作った、色を塗っていなかった作品にも色を付けようと思って、取り出して来たが、これを作った時は気が付かなかったが、すごく雑に作ってある。色を塗ったが、やはりしっくり来なかった。
このやどかりの色を塗る時に注意した事は、あまりけばくならない様に、薄く自然な感じになる様に色を塗った事。その為、漆喰が本来持つ、素材の色の良さが失われていない出来になればいいが・・・。
半乾きの時に色を塗ると、乾燥した時に、塗った時より、色が若干、はげた感じになる。
だから今までは完全に乾かしてから色を塗っていたのだが、自然に色がはげた感じがどんな風にななるかもう一度見たくて、塗ってみた。
色は、薄い紫にした。ピンクは可愛らしすぎるし、適当に選んだ紫の絵の具がとても気に入ったので、本当は4個全部違う色にしようと思っていたが、全て薄紫にした。
ピンクの貝殻、全部で10個購入したが、10個とも全部作ってしまった。
これを作っていたらすごく心が落ち着いた。
以前に、嫌々ながら作った、色を塗っていなかった作品にも色を付けようと思って、取り出して来たが、これを作った時は気が付かなかったが、すごく雑に作ってある。色を塗ったが、やはりしっくり来なかった。
このやどかりの色を塗る時に注意した事は、あまりけばくならない様に、薄く自然な感じになる様に色を塗った事。その為、漆喰が本来持つ、素材の色の良さが失われていない出来になればいいが・・・。

2007年01月17日
色々なやどかり
今日はとても調子がよかったので、色々なやどかりが出来上がった。
以前、乾燥する前に色を塗ってしまった分は、うまく行った物と悪い物の差がかなりあったので、結局作った物の半分以上壊してしまった・・・。
やっぱり、乾燥する前に色を塗るのはあまり良くない。以前うまく行ったのは、たまたま調子が良かったからなのかも。
私の田舎から取り寄せた、色々な色のヒオウギ貝を使ったやどかり。

貝殻を色々、組み合わせて作った。手前の細長い貝は、かなり以前に沢山仕入れたものの、これと言う使い道がなかったので困っていたが、こうやってやどかりの下に引く置物にするとなかなか似合っていて気に入っている。
以前、乾燥する前に色を塗ってしまった分は、うまく行った物と悪い物の差がかなりあったので、結局作った物の半分以上壊してしまった・・・。
やっぱり、乾燥する前に色を塗るのはあまり良くない。以前うまく行ったのは、たまたま調子が良かったからなのかも。
私の田舎から取り寄せた、色々な色のヒオウギ貝を使ったやどかり。
貝殻を色々、組み合わせて作った。手前の細長い貝は、かなり以前に沢山仕入れたものの、これと言う使い道がなかったので困っていたが、こうやってやどかりの下に引く置物にするとなかなか似合っていて気に入っている。

2007年01月18日
紫のやどかり
色々な貝殻でやどかりを作ったが、色は全て紫にした。
薄緑の絵の具でも塗ってみたけど、やっぱりしっくり来ないし、顔も笑っているやウィンクしている顔など色々作ってみたが、それもやっぱり何かおかしいので、結局全部同じ色、同じ顔になってしまった・・・
二匹並んでいるやどかりだけは、口が閉じているのと、開いているのがある。
貝殻のあちこちに、ガラスの欠片や小さい貝殻を付けてみた。
これで少しは見栄えが引き立つと思う。
前回、顔に色を塗って失敗したので、今回は目も顔も色を全く塗らないで、素材の自然の良さが引き立つ様にした。

このヒオウギ貝を使ったやどかりは、13祝いのお返しの依頼を受けて作った物。
薄緑の絵の具でも塗ってみたけど、やっぱりしっくり来ないし、顔も笑っているやウィンクしている顔など色々作ってみたが、それもやっぱり何かおかしいので、結局全部同じ色、同じ顔になってしまった・・・
二匹並んでいるやどかりだけは、口が閉じているのと、開いているのがある。
貝殻のあちこちに、ガラスの欠片や小さい貝殻を付けてみた。
これで少しは見栄えが引き立つと思う。
前回、顔に色を塗って失敗したので、今回は目も顔も色を全く塗らないで、素材の自然の良さが引き立つ様にした。
このヒオウギ貝を使ったやどかりは、13祝いのお返しの依頼を受けて作った物。

2007年01月21日
沖縄本島とやどかり
展覧会に出すようのやどかりをディスプレイしてみた。
真ん中の島の様なものは、沖縄本島。地図をコピーして、それを鉛筆で下書きして、漆喰を貼り付けた。
今、まだ乾燥していないので、黄色っぽいが、乾燥したら薄いベージュになって、より島っぽく見栄えが引き立つと思う。

石を引き詰めていない時のディスプレイ。家族に評判が悪かったので色々考えた上、石を引き詰めてみた。
真ん中の島の様なものは、沖縄本島。地図をコピーして、それを鉛筆で下書きして、漆喰を貼り付けた。
今、まだ乾燥していないので、黄色っぽいが、乾燥したら薄いベージュになって、より島っぽく見栄えが引き立つと思う。
石を引き詰めていない時のディスプレイ。家族に評判が悪かったので色々考えた上、石を引き詰めてみた。

2007年01月24日
貝紫染めと藍染め
貝紫染めのハンカチと、藍染めのハンカチを頂いたので、すごくきれいでハンカチとして使うのはもったいないので、窓辺に飾ってみた。
貝紫染めとは、小さい貝からわずかに紫の色素が取れる貴重な染料。
貝紫染めが、紫色に染まるシーンをビデオで見たが、すごくきれいで感動した。
窓辺が少し寂しかったけど、こうやってハンカチを飾ると、ハンカチとして持つよりきれいだし、ハンカチも窓辺も喜んでいると思う。

貝紫染めとは、小さい貝からわずかに紫の色素が取れる貴重な染料。
貝紫染めが、紫色に染まるシーンをビデオで見たが、すごくきれいで感動した。
窓辺が少し寂しかったけど、こうやってハンカチを飾ると、ハンカチとして持つよりきれいだし、ハンカチも窓辺も喜んでいると思う。
2007年01月30日
藍染めとやどかりくん
藍染めと貝紫染めのハンカチをプレゼントしてくれた、お世話になった人に、お返しに私のやどかりくんを6個プレゼントしたら、こんなに素敵な写真を撮ってくれて嬉しかった。
藍染めとやどかりくんがこんなに合うとは思わなかった。
斜めから写している所がまた素敵で、この写真は来年の年賀状に使おうと思う。
斜めから写そうと言う発想は私にはなかった。この写真を参考にしてきれいな写真が撮れるようになりたい。
藍染めの海の中でやどかりくんがすいすい泳いでいるみたい・・・
何気なく書いた私が書いた手紙も、こういう風に写真に撮れば、自分で書いた手紙の様には思えなくなった・・・^^;
藍染めとやどかりくんがこんなに合うとは思わなかった。
斜めから写している所がまた素敵で、この写真は来年の年賀状に使おうと思う。
斜めから写そうと言う発想は私にはなかった。この写真を参考にしてきれいな写真が撮れるようになりたい。

藍染めの海の中でやどかりくんがすいすい泳いでいるみたい・・・

何気なく書いた私が書いた手紙も、こういう風に写真に撮れば、自分で書いた手紙の様には思えなくなった・・・^^;

2007年02月01日
ひとり歩きの沖縄奄美
沖縄の観光ガイドブックは沢山出ているけれど、私が一番気に入っているのがこの本。
広告が入っていないし、紹介されている観光名所・宿なども、こだわりの場所ばかり紹介されていて、地に足のついた紹介文が書かれている。
この本は、カラー写真のページが少しあるだけで、99%白黒写真。
白黒写真である事を物足りなく感じる人もいるかもしれないが、沖縄の風景がどれほど素晴らしいか、それは事前に写真から情報を得て現物を見るのではなく、沖縄に行って初めて自分の目で確かめたい。だから、白黒写真ではっきりとしたイメージがわかない所も気に入っている。
名所の紹介文には、☆☆☆で評価が書かれていて、その☆の数が高い程おすすめらしい。
けれども、その☆の数の評価は、私の思った感想とはちょっと違った場所もいくつかあった。
でもとても参考になる本である事には間違いないし、沖縄の歴史を勉強出来る本でもある。
広告が入っていないし、紹介されている観光名所・宿なども、こだわりの場所ばかり紹介されていて、地に足のついた紹介文が書かれている。
この本は、カラー写真のページが少しあるだけで、99%白黒写真。
白黒写真である事を物足りなく感じる人もいるかもしれないが、沖縄の風景がどれほど素晴らしいか、それは事前に写真から情報を得て現物を見るのではなく、沖縄に行って初めて自分の目で確かめたい。だから、白黒写真ではっきりとしたイメージがわかない所も気に入っている。
名所の紹介文には、☆☆☆で評価が書かれていて、その☆の数が高い程おすすめらしい。
けれども、その☆の数の評価は、私の思った感想とはちょっと違った場所もいくつかあった。
でもとても参考になる本である事には間違いないし、沖縄の歴史を勉強出来る本でもある。

2007年02月02日
伝統的なシーサー
陶芸の工房に入って3ヶ月目ぐらいの時に作った作品。
この頃はまだ自分がどんなシーサーに向いているのか分からず、他人の作品を見よう見まねで模索しながら残業中に必死で作った。
今、単純な形のやどかりくんばかりを作っているが、この作品は、個性やセンスがいらない代わりに、技術が必要。
今、もう伝統的な作品は全く作っていないので、作り方を忘れてしまった。
この頃は、毎日毎日朝から夜まで残業して作っていたので何とかこれが作れたが、今はたまにしか陶芸をやっていないので、作れるかどうか自信がない。
造形だけで3時間かかってやっとの思いで作った。色がうまい具合にいい色に仕上がったので、気に入って持って帰って来た私の宝物。
同じ工房の人が作った物とそっくりそのままに作ったつもりだが、当たり前だが、出来上がりが全然違うようになってしまった・・・
この頃はまだ自分がどんなシーサーに向いているのか分からず、他人の作品を見よう見まねで模索しながら残業中に必死で作った。
今、単純な形のやどかりくんばかりを作っているが、この作品は、個性やセンスがいらない代わりに、技術が必要。
今、もう伝統的な作品は全く作っていないので、作り方を忘れてしまった。
この頃は、毎日毎日朝から夜まで残業して作っていたので何とかこれが作れたが、今はたまにしか陶芸をやっていないので、作れるかどうか自信がない。
造形だけで3時間かかってやっとの思いで作った。色がうまい具合にいい色に仕上がったので、気に入って持って帰って来た私の宝物。
同じ工房の人が作った物とそっくりそのままに作ったつもりだが、当たり前だが、出来上がりが全然違うようになってしまった・・・
2007年02月07日
沖縄に移住した理由と出来事
私が沖縄にはまったのは2000年。沖縄に独特の文化や歴史があると知ったから。それからどんどん自分で沖縄関連の本を買ったり、調べたりしているうちに、その魅力にとりつかれて、いてもたっても沖縄のことを考えていると言う典型的な沖縄病に掛かってしまった。沖縄の文化や歴史・方言・風習・音楽・食べ物・・・それは知れば知るほど個性的で奥深く、調べても調べても調べつくせられない程。
それから何回も沖縄に遊びに行って、色々な島に行ったり、エイサー(沖縄風盆踊り)や、やちむん(焼き物=陶芸)に触れてはもう取り返しのつかないぐらいの重症になっていた。
自分で調べられるだけの事は調べて、いつか何かの為に使おうと思っていた、一定期間仕事がなくても困らない程度の貯金、住むのと観光するのとでは全然違うと言う現実・・・それらを全て踏まえた上で不安もあったし、でもそれでもどうしても今、一度住んでみないと一生後悔する、一生後悔するぐらいならこの先に何があっても、一生後悔するぐらいなら耐えられると思って、2002年の11月に那覇に引っ越しした。
とりあえず、どうせ沖縄に住むなら沖縄でしか出来ない事をしようと思った。それなら迷わず選んだのが、陶芸だった。沖縄の陶器は壺屋焼きと言って、シーサーなど、個性あふれる作品が揃っていて、沖縄の文化の中でも最も惹かれた。全く陶芸の経験がない私が簡単にやとってもらえるとは思ってもみなかった。でも私は、陶芸に関われるなら、雑用でも何でもいい、壺屋や読谷(どちらも陶器の里)の店を一軒一軒回って、絶対に陶芸の修行をさせてもらえる場所を探そうと意気込んでいたが、そんな苦労は全く必要なかった。沖縄に引っ越してたったの1週間で、自宅から5分の場所にあっさりと陶工見習いの募集の張り紙を見つけ、その場で採用された。沖縄は車の教習所の費用が10万円ほど実家より安いので、ついでに車の免許も取ろうと思っていて、自動車教習所に通いながら行く事に決まった。そんな悪条件で先生は雇ってくれた。
それから私は忙しくなった。朝は自動車教習所、昼からは陶芸、毎日残業して21時頃までひたすらこの工房に伝わる伝統的なシーサーを作り続け、それが終わったら、国際通り(那覇のお土産屋が並ぶ繁華街)に行って色々な人の作品を観察し続け、何か自分の作品に生かせる事はないか考え続けていた。
最初の目標は、沖縄に住む事、次の目標は陶芸の仕事につく事。でもこれらはあっさりと叶えてしまったので、その次の目標が、「一目で私が作ったと分かる作風を確立する事」に変わった。
この工房は、17人ほど働いていて、みんな、私のことをすごく気に掛けて親切にしてくれた。みんな気が強かったけど、同じ志を持っている人達ばかりだったので、すごく気が合って、残業中にいつも宴会をして泡盛を呑みながら作陶するなど、楽しい想い出がいっぱい。でも私があまりに不器用だったので、毎日毎日叱られてばかりいて、私がオリジナルで作った作品に対する評価はとても厳しい物だった。
この工房に伝わる伝統的なシーサーは、私が作ると下手で遅いし、しかも焼いたら割れる。焼き上がった作品が次から次へと割れて注意されるのは毎日毎日いたたまれない気持ちだった。
そこで考案したのが、単純な形の頭だけの可愛らしい感じのシーサー、現在の自分の作風の原点となっている、ミニチブル(方言で小さい頭)シーサーだった。これをどうしても売りこみたいと思って、先生の許可をもらって、那覇のお土産屋を一軒一軒回って、持ち込みをして、売り込みに行って注文をとって来る事が出来た。
私の作品は賛否両論で、反応は様々だった。名刺を突き返されたり、大手のお土産屋などは、社長と常務と従業員にずらりと囲まれて一人で売り込みをして交渉したり、でも何故か、どうしてもこれがやりたいと思っている時の行動力と言うのは、そんな中に置かれても全然平気でただ売る事に夢中になっていた。
こんなの売れない・・・このぐらいはよくあるセリフで言われても平気だったが、私が一番嫌だったのは、自分の作品の事を分かった様な事を言う人々。その人達は、自分で物を見る目があると思いこんでいる人達だった。だから平気で人の作品を頭から否定する事が出来る。でもそれも全て黙って聞いておいて、どの店がこんな考え方で経営しているのだなと言う事がだんだん分かってきた。
でもそんな時、目を付けたのが「漆喰」と言う素材だった。考えてみれば、私の好きな作家はみんな漆喰でシーサーを作っている。私も漆喰をやってみたい・・・でもまだ9ヶ月しか陶芸をやっていないのに今、漆喰に転向するのはあまりに早すぎないか・・・と思いながらも、漆喰への気持ちはどんどん高まって行った。とりあえず、自己流で漆喰で作ってみようと思い、漆喰の製造元を調べて動きだしたその翌日、私は、陶芸の工房を寝坊して遅刻して先生を怒らせてしまった。漆喰をやりたいと思いながら陶芸で作りたくもない伝統的なシーサーを作っていても熱が入らず、焼くと割れるし、遅刻はするし、やる気もないみたいだし・・・これからどうするか?と聞かれたので、もうここでは続けられないなと思い、今日で辞めます。と言って泣く泣く陶芸の工房を辞めるになった。先生にはろくに挨拶も出来なかったが、後で手紙を書いてきちんとお礼を言って、その工房をあとにした。
陶芸が出来なくなった私はもう、漆喰で作品を作る事しか道は残されていなかった。でも自己流で作った作品はどれもひどい出来映えで、とても自己流ではやっていけないなと思い、また働きながら修行させてもらえる場所を探した。けど見つからなく、例え見つかったとしても、自分の作りたくもない、その工房の定番商品を仕事だからと言って作り続けるのは、また同じ事の繰り返しだと思った。それでも試行錯誤して自己流で何とか作っていたが、とても売り物にならない物ばかり出来上がっていたが、2週間程経った時に、ふと肩の力を抜いて適当に作ってみて、適当に色を塗ったら何とか売り物になりそうな物が出来上がって、コツをつかんだ。陶芸の工房を辞めたのが9月3日だったが、9月末には那覇のお土産屋に売り込みに行った。私はもう、どこのお土産屋に売り込みに行くかは決めていた。自分の作品を大切にしてくれる店、大切に展示してくれる店、作家を大切にしてくれる店がどこの店かと言うのは、陶芸の工房にいた時に把握していたので、迷わず2軒の店を選んで売り込んだ。その店は、私をとても暖かく受け入れてくれて、その内の一軒の店は、各5個ずつぐらい、全部で58個ぐらい注文をくれた。
そんな感じで売れ行きを心配していたが、少しずつではあったが、売れて行って、漆喰に転向して3,4ヶ月の間に、追加注文や、新規で店からの仕事に依頼までやってくる様になって、注文に困る事はなかった。
その頃の私は、一日24時間、片時も休まず、夢にまで出てくるぐらい、新しい作品のアイデアを考え続けていた。だから次々に新しい作品が出来上がって行った。ちょっとでも絵の具の色が気に入らない、この材料が欲しいと思ったら、バイクで沖縄中を走り回り、材料を揃えて、試行錯誤していたので、いくら注文が来たと言っても利益なんてほとんどなしに近かった。
そんな頃、陶芸の工房に、私の漆喰の作品を持って行って先生に見せたら、あれほど出来の悪かった私に、「もう一度戻ってくるか」と言われたのは本当に励みになった。
あの当時の私の服装は、安物のTシャツに、島ぞーり(沖縄風ビーチサンダル)、短パンをはいて眼鏡を掛けて、ストレスから体重もかなり増えていて、外見など全くおかまいなしだったし、そのゆとりすらなくて、ただ新しい作品が出来ないか、何かいいアイデアがないかをひたすら頭が壊れるぐらい考え続けた・・・。
それからの事は、あまり語りたくないので、語らないが、沖縄から帰って来た理由は、「一目で私が作ったと分かる物を作る」これが叶ったので、次の目標が何か分からなくなって、作品がそれなりに売れて評価を得たので、だんだん自信過剰になって来た。そんな自信過剰のまっただ中だった時、沖縄で有名な版画家の展覧会に行って、徹底的に才能の差を感じてうちのめされた。
それからはもう、作品を作る意欲は全くなくなった。作ったとしてもろくな出来じゃない、腕が落ちたのかなと思って、出来上がる作品はひどい出来映えの物ばかり・・・それでも店に出荷していたが、もう、こんなお金にならない事をいつまでも続けても仕方ないし、目標がなんなのかよく分からなくなったし、一人暮らしの寂しさ、見知らぬ土地での心細さ、沖縄の狭さ・・・そういう物に耐えられなくなって、実家に帰って来た。
それから何回も沖縄に遊びに行って、色々な島に行ったり、エイサー(沖縄風盆踊り)や、やちむん(焼き物=陶芸)に触れてはもう取り返しのつかないぐらいの重症になっていた。
自分で調べられるだけの事は調べて、いつか何かの為に使おうと思っていた、一定期間仕事がなくても困らない程度の貯金、住むのと観光するのとでは全然違うと言う現実・・・それらを全て踏まえた上で不安もあったし、でもそれでもどうしても今、一度住んでみないと一生後悔する、一生後悔するぐらいならこの先に何があっても、一生後悔するぐらいなら耐えられると思って、2002年の11月に那覇に引っ越しした。
とりあえず、どうせ沖縄に住むなら沖縄でしか出来ない事をしようと思った。それなら迷わず選んだのが、陶芸だった。沖縄の陶器は壺屋焼きと言って、シーサーなど、個性あふれる作品が揃っていて、沖縄の文化の中でも最も惹かれた。全く陶芸の経験がない私が簡単にやとってもらえるとは思ってもみなかった。でも私は、陶芸に関われるなら、雑用でも何でもいい、壺屋や読谷(どちらも陶器の里)の店を一軒一軒回って、絶対に陶芸の修行をさせてもらえる場所を探そうと意気込んでいたが、そんな苦労は全く必要なかった。沖縄に引っ越してたったの1週間で、自宅から5分の場所にあっさりと陶工見習いの募集の張り紙を見つけ、その場で採用された。沖縄は車の教習所の費用が10万円ほど実家より安いので、ついでに車の免許も取ろうと思っていて、自動車教習所に通いながら行く事に決まった。そんな悪条件で先生は雇ってくれた。
それから私は忙しくなった。朝は自動車教習所、昼からは陶芸、毎日残業して21時頃までひたすらこの工房に伝わる伝統的なシーサーを作り続け、それが終わったら、国際通り(那覇のお土産屋が並ぶ繁華街)に行って色々な人の作品を観察し続け、何か自分の作品に生かせる事はないか考え続けていた。
最初の目標は、沖縄に住む事、次の目標は陶芸の仕事につく事。でもこれらはあっさりと叶えてしまったので、その次の目標が、「一目で私が作ったと分かる作風を確立する事」に変わった。
この工房は、17人ほど働いていて、みんな、私のことをすごく気に掛けて親切にしてくれた。みんな気が強かったけど、同じ志を持っている人達ばかりだったので、すごく気が合って、残業中にいつも宴会をして泡盛を呑みながら作陶するなど、楽しい想い出がいっぱい。でも私があまりに不器用だったので、毎日毎日叱られてばかりいて、私がオリジナルで作った作品に対する評価はとても厳しい物だった。
この工房に伝わる伝統的なシーサーは、私が作ると下手で遅いし、しかも焼いたら割れる。焼き上がった作品が次から次へと割れて注意されるのは毎日毎日いたたまれない気持ちだった。
そこで考案したのが、単純な形の頭だけの可愛らしい感じのシーサー、現在の自分の作風の原点となっている、ミニチブル(方言で小さい頭)シーサーだった。これをどうしても売りこみたいと思って、先生の許可をもらって、那覇のお土産屋を一軒一軒回って、持ち込みをして、売り込みに行って注文をとって来る事が出来た。
私の作品は賛否両論で、反応は様々だった。名刺を突き返されたり、大手のお土産屋などは、社長と常務と従業員にずらりと囲まれて一人で売り込みをして交渉したり、でも何故か、どうしてもこれがやりたいと思っている時の行動力と言うのは、そんな中に置かれても全然平気でただ売る事に夢中になっていた。
こんなの売れない・・・このぐらいはよくあるセリフで言われても平気だったが、私が一番嫌だったのは、自分の作品の事を分かった様な事を言う人々。その人達は、自分で物を見る目があると思いこんでいる人達だった。だから平気で人の作品を頭から否定する事が出来る。でもそれも全て黙って聞いておいて、どの店がこんな考え方で経営しているのだなと言う事がだんだん分かってきた。
でもそんな時、目を付けたのが「漆喰」と言う素材だった。考えてみれば、私の好きな作家はみんな漆喰でシーサーを作っている。私も漆喰をやってみたい・・・でもまだ9ヶ月しか陶芸をやっていないのに今、漆喰に転向するのはあまりに早すぎないか・・・と思いながらも、漆喰への気持ちはどんどん高まって行った。とりあえず、自己流で漆喰で作ってみようと思い、漆喰の製造元を調べて動きだしたその翌日、私は、陶芸の工房を寝坊して遅刻して先生を怒らせてしまった。漆喰をやりたいと思いながら陶芸で作りたくもない伝統的なシーサーを作っていても熱が入らず、焼くと割れるし、遅刻はするし、やる気もないみたいだし・・・これからどうするか?と聞かれたので、もうここでは続けられないなと思い、今日で辞めます。と言って泣く泣く陶芸の工房を辞めるになった。先生にはろくに挨拶も出来なかったが、後で手紙を書いてきちんとお礼を言って、その工房をあとにした。
陶芸が出来なくなった私はもう、漆喰で作品を作る事しか道は残されていなかった。でも自己流で作った作品はどれもひどい出来映えで、とても自己流ではやっていけないなと思い、また働きながら修行させてもらえる場所を探した。けど見つからなく、例え見つかったとしても、自分の作りたくもない、その工房の定番商品を仕事だからと言って作り続けるのは、また同じ事の繰り返しだと思った。それでも試行錯誤して自己流で何とか作っていたが、とても売り物にならない物ばかり出来上がっていたが、2週間程経った時に、ふと肩の力を抜いて適当に作ってみて、適当に色を塗ったら何とか売り物になりそうな物が出来上がって、コツをつかんだ。陶芸の工房を辞めたのが9月3日だったが、9月末には那覇のお土産屋に売り込みに行った。私はもう、どこのお土産屋に売り込みに行くかは決めていた。自分の作品を大切にしてくれる店、大切に展示してくれる店、作家を大切にしてくれる店がどこの店かと言うのは、陶芸の工房にいた時に把握していたので、迷わず2軒の店を選んで売り込んだ。その店は、私をとても暖かく受け入れてくれて、その内の一軒の店は、各5個ずつぐらい、全部で58個ぐらい注文をくれた。
そんな感じで売れ行きを心配していたが、少しずつではあったが、売れて行って、漆喰に転向して3,4ヶ月の間に、追加注文や、新規で店からの仕事に依頼までやってくる様になって、注文に困る事はなかった。
その頃の私は、一日24時間、片時も休まず、夢にまで出てくるぐらい、新しい作品のアイデアを考え続けていた。だから次々に新しい作品が出来上がって行った。ちょっとでも絵の具の色が気に入らない、この材料が欲しいと思ったら、バイクで沖縄中を走り回り、材料を揃えて、試行錯誤していたので、いくら注文が来たと言っても利益なんてほとんどなしに近かった。
そんな頃、陶芸の工房に、私の漆喰の作品を持って行って先生に見せたら、あれほど出来の悪かった私に、「もう一度戻ってくるか」と言われたのは本当に励みになった。
あの当時の私の服装は、安物のTシャツに、島ぞーり(沖縄風ビーチサンダル)、短パンをはいて眼鏡を掛けて、ストレスから体重もかなり増えていて、外見など全くおかまいなしだったし、そのゆとりすらなくて、ただ新しい作品が出来ないか、何かいいアイデアがないかをひたすら頭が壊れるぐらい考え続けた・・・。
それからの事は、あまり語りたくないので、語らないが、沖縄から帰って来た理由は、「一目で私が作ったと分かる物を作る」これが叶ったので、次の目標が何か分からなくなって、作品がそれなりに売れて評価を得たので、だんだん自信過剰になって来た。そんな自信過剰のまっただ中だった時、沖縄で有名な版画家の展覧会に行って、徹底的に才能の差を感じてうちのめされた。
それからはもう、作品を作る意欲は全くなくなった。作ったとしてもろくな出来じゃない、腕が落ちたのかなと思って、出来上がる作品はひどい出来映えの物ばかり・・・それでも店に出荷していたが、もう、こんなお金にならない事をいつまでも続けても仕方ないし、目標がなんなのかよく分からなくなったし、一人暮らしの寂しさ、見知らぬ土地での心細さ、沖縄の狭さ・・・そういう物に耐えられなくなって、実家に帰って来た。
2007年02月10日
沖縄からのその後・・・
沖縄から実家に帰って来た私はまるでぬけがらの様になっていた。何もする気がせず、ただ、毎日毎日音楽を聴いて、あの版画家の絵を何枚も部屋に飾って素敵だなぁと思いながら日々を過ごしていた。
音楽は、沖縄出身の私と同じ年ぐらいの女性の歌手、一人の人の音楽しか聴かなかった。毎日毎日その人の音楽ばかり聴いていて、最初は歌詞の意味など考えなかったけど、それを毎日聴いているうちに、だんだん難解な歌詞の意味も分かるようになって来た・・・。
たまに漆喰や陶芸で雑貨を作ってはいた物の、その出来映えはあまりにも目に余る雑で下手な、イライラするような出来映えだった。
私があまりにだらだらとしているので、見かねた父が「少しでもいいから外に出なさい」と言って、それで仕方なく今の職場に行く事になった。
最初は嫌でたまらなかった。でもだんだんとその職場で人の優しさに触れ、仕事が嫌でなくなって来た・・・。
そんな時、街でとても素敵な色合いのストロベリー色の貝殻を見つけた。これを何かに使いたいなぁと思って、それで完成したのがやどかりくん。
沖縄から帰ってほとんど作品は作っていなかったのに、練習もせず、試行錯誤もせず、いつの間にか不思議と腕は上がっていた。
多分、自分が無意識に聴いていた本当に素晴らしいと思える音楽・版画を見たり聴いたりしているうちに、大切な物を思い出し、知らず知らずのうちに感性が磨かれた気がする。
それを思い出させてくれた場所が今の職場。
音楽は、沖縄出身の私と同じ年ぐらいの女性の歌手、一人の人の音楽しか聴かなかった。毎日毎日その人の音楽ばかり聴いていて、最初は歌詞の意味など考えなかったけど、それを毎日聴いているうちに、だんだん難解な歌詞の意味も分かるようになって来た・・・。
たまに漆喰や陶芸で雑貨を作ってはいた物の、その出来映えはあまりにも目に余る雑で下手な、イライラするような出来映えだった。
私があまりにだらだらとしているので、見かねた父が「少しでもいいから外に出なさい」と言って、それで仕方なく今の職場に行く事になった。
最初は嫌でたまらなかった。でもだんだんとその職場で人の優しさに触れ、仕事が嫌でなくなって来た・・・。
そんな時、街でとても素敵な色合いのストロベリー色の貝殻を見つけた。これを何かに使いたいなぁと思って、それで完成したのがやどかりくん。
沖縄から帰ってほとんど作品は作っていなかったのに、練習もせず、試行錯誤もせず、いつの間にか不思議と腕は上がっていた。
多分、自分が無意識に聴いていた本当に素晴らしいと思える音楽・版画を見たり聴いたりしているうちに、大切な物を思い出し、知らず知らずのうちに感性が磨かれた気がする。
それを思い出させてくれた場所が今の職場。
2007年02月12日
沖縄に対する想い
沖縄は私にとって、青春そのもので、自分の隠れた能力を引き出させてくれた、かけがいのない場所。
沖縄に住む事によって失った物もある。でも沖縄に住んだ為に得たものは本当に計り知れない。
誰の目から見ても、間違いなく私は成長したし、間違いなくいいものを持って帰って来た。
でも、単に沖縄に住んだからそうなったのではなくて、私が目標を掲げてそれに向かって自分の出来る限りの事をやったからその結果が生まれたんだと思う。
沖縄に住んでいた期間はちょうど2年。
2年で締めくくって、よかったんだと思う。行った時期も、実家に帰って来た時期も間違いではなかった。
それ以上いても、無駄にだらだらと目標もなく過ごしていただろうし、だらだらと過ごすならその場所が沖縄でなくても実家でもどこでも同じ。
いつかまた、沖縄に住む時が来るかもしれない。その時は、きっとある日突然やって来ると思う。
ただ、今は沖縄には住まない方がいいなと思っている。
今度住むときは都会のど真ん中の那覇ではなくて、やどかりのいる玉城村の海の見える、赤瓦の屋根の家に住んで静かに作品を作りたい。
でもそれはお金がないと絶対に叶えられない、とてつもない事だし、理想と現実は違うなとも思う。
沖縄に住む事によって失った物もある。でも沖縄に住んだ為に得たものは本当に計り知れない。
誰の目から見ても、間違いなく私は成長したし、間違いなくいいものを持って帰って来た。
でも、単に沖縄に住んだからそうなったのではなくて、私が目標を掲げてそれに向かって自分の出来る限りの事をやったからその結果が生まれたんだと思う。
沖縄に住んでいた期間はちょうど2年。
2年で締めくくって、よかったんだと思う。行った時期も、実家に帰って来た時期も間違いではなかった。
それ以上いても、無駄にだらだらと目標もなく過ごしていただろうし、だらだらと過ごすならその場所が沖縄でなくても実家でもどこでも同じ。
いつかまた、沖縄に住む時が来るかもしれない。その時は、きっとある日突然やって来ると思う。
ただ、今は沖縄には住まない方がいいなと思っている。
今度住むときは都会のど真ん中の那覇ではなくて、やどかりのいる玉城村の海の見える、赤瓦の屋根の家に住んで静かに作品を作りたい。
でもそれはお金がないと絶対に叶えられない、とてつもない事だし、理想と現実は違うなとも思う。
2007年02月13日
お店の取り分と作家の取り分について
通常、作品をお店に出したら、陶芸の場合、お店の取り分は4割、作家の取り分は6割。
でも素材が漆喰になると、お店の取り分が5割、作家の取り分も5割になる。
ひどい店になると、お店の取り分が6.5割、作家が4.5割の店もあって、これ以上譲れないと言って来て、その店は国際通りの一等地にあって、店の雰囲気もよかったので、その取り分で置かしてもらった。
作家との契約外でもっともっと勝手に高く値段をつり上げている店もある。
何故、陶芸と漆喰で取り分が違って来るのか納得出来ない。
店は、うちも大変だから・・・と言うけど、時給200円前後でやっている大変なのは職人の方だし、明らかに貧乏なのも職人。しかも店は職人を見下していばっている店が多い。
店が職人の都合など考えていない様に、こちらも店の細かい都合など知らない。
でも、店番を何回かやった事があるけど、作品を創造する時のエネルギーに比べたら店番がそんなに大変な仕事とは思えない。
今まで、色々な作家さんと会って来て、色々な話を聞く事が出来た。その時に感じた事は、作家と言うのは、本当にみんな無欲な人が多い。素朴で欲のない、みんなただ熱心に作品作りに没頭している。
いばっている人など一人もいなかった。ちょっと欲が深いなって思った作家さんもいたけど、その人の作る物はあんまり魅力がなかった。
自分の取り分が4.5割の店にはさすがに他の店より値段を上げて作品を出荷した。その為、値段が高くなってその店では売れにくくなったと思う。
観光客は、沖縄の工芸品を見て、高いって言うけど、裏にそんな事情があって、職人が時給200円前後でやっている事を知っても高いって言えるだろうか。
沖縄の雑貨は平均的に安すぎると思う。
店に出してもほとんど利益にならないので、もう店との取引はしない事にしている。
わずかなお金の為に、知らない人に作品を譲るより、知り合いに譲った方がずっといいし、この仕事一本で食べて行くより他に別の仕事をしながらの方がずっと楽しいので、今はそうしている(^^;)
作家はもっとこの現状に疑問を持って、店に訴える必要があると思う。
でも素材が漆喰になると、お店の取り分が5割、作家の取り分も5割になる。
ひどい店になると、お店の取り分が6.5割、作家が4.5割の店もあって、これ以上譲れないと言って来て、その店は国際通りの一等地にあって、店の雰囲気もよかったので、その取り分で置かしてもらった。
作家との契約外でもっともっと勝手に高く値段をつり上げている店もある。
何故、陶芸と漆喰で取り分が違って来るのか納得出来ない。
店は、うちも大変だから・・・と言うけど、時給200円前後でやっている大変なのは職人の方だし、明らかに貧乏なのも職人。しかも店は職人を見下していばっている店が多い。
店が職人の都合など考えていない様に、こちらも店の細かい都合など知らない。
でも、店番を何回かやった事があるけど、作品を創造する時のエネルギーに比べたら店番がそんなに大変な仕事とは思えない。
今まで、色々な作家さんと会って来て、色々な話を聞く事が出来た。その時に感じた事は、作家と言うのは、本当にみんな無欲な人が多い。素朴で欲のない、みんなただ熱心に作品作りに没頭している。
いばっている人など一人もいなかった。ちょっと欲が深いなって思った作家さんもいたけど、その人の作る物はあんまり魅力がなかった。
自分の取り分が4.5割の店にはさすがに他の店より値段を上げて作品を出荷した。その為、値段が高くなってその店では売れにくくなったと思う。
観光客は、沖縄の工芸品を見て、高いって言うけど、裏にそんな事情があって、職人が時給200円前後でやっている事を知っても高いって言えるだろうか。
沖縄の雑貨は平均的に安すぎると思う。
店に出してもほとんど利益にならないので、もう店との取引はしない事にしている。
わずかなお金の為に、知らない人に作品を譲るより、知り合いに譲った方がずっといいし、この仕事一本で食べて行くより他に別の仕事をしながらの方がずっと楽しいので、今はそうしている(^^;)
作家はもっとこの現状に疑問を持って、店に訴える必要があると思う。
2007年02月14日
那覇について想う事
私が沖縄に住もうと思って、迷わず選んだのが「那覇」だった。その那覇の中でも出来るだけ都会の中心部、お土産屋が沢山並んでいる場所に住みたいと思った。
でも家賃は高いんだろうなぁと思いながら、色々調べたら、壺屋やちむん通りの隣の筋、平和通りのすぐ近くと言う、一等地中の一等地にかなりの格安物件が1部屋だけ余っていた。
しかも新築で11月から空きがあると言う。私は迷わずその部屋に決めた。
そしてその部屋から歩いて5分の場所に仕事も見つけた。
何もかもが、運が良かったのか、運命だったのか、何かに導かれていたのかどうかは分からない。
でも単に運が良かっただけとは思えない事が沖縄では次々に起こった。
自分ではどうしても単なる偶然とは思えない。
そんな化学では説明の出来ない、不思議な事の一つや二つあってもいいと思う。
沖縄と言うのは、いい意味で異常な島だと思う。あの芸術家、芸術文化の多さは半端ではない。しかもそのレベルは異常なぐらい高い。
那覇は、沢山のお土産屋や沖縄らしい喫茶店、音楽、文化に溢れている。沖縄の文化を体感したかったら那覇はものすごくいい場所で、深夜まで店が開いているので、一人暮らしの辛さを紛らす為には絶好の場所だと思う。
住む場所を那覇に選択して本当に良かった。那覇でなくて、もっと静かな田舎だったら、私は心細くてどう気を紛らわしたらいいのか分からなくなっていたと思う。
辛い時、悲しい時・・・沢山あったけど、私はいつも仕事帰りに国際通りに行って、お土産屋をうろうろしていた。
行く場所がライブや居酒屋などではなく、お土産屋で、特に何を買う訳でもなかったので、お金の掛からない、本当にいい気分転換だった。
そんな事の繰り返しでこの店にはどの人のどんな作品が置いている・・・と言う事を全て丸暗記して、シーサーを見ただけでどこの工房の作品だなと言う事までも分かるようになって来た・・・。
那覇はあの時の自分にとって、絶好の場所だった。ものすごくいいインシュピレーションを与えてくれた場所。
ただ、那覇は一生住む場所ではないと思う。一生住む場所だと直感で思う場所は玉城村。
でも家賃は高いんだろうなぁと思いながら、色々調べたら、壺屋やちむん通りの隣の筋、平和通りのすぐ近くと言う、一等地中の一等地にかなりの格安物件が1部屋だけ余っていた。
しかも新築で11月から空きがあると言う。私は迷わずその部屋に決めた。
そしてその部屋から歩いて5分の場所に仕事も見つけた。
何もかもが、運が良かったのか、運命だったのか、何かに導かれていたのかどうかは分からない。
でも単に運が良かっただけとは思えない事が沖縄では次々に起こった。
自分ではどうしても単なる偶然とは思えない。
そんな化学では説明の出来ない、不思議な事の一つや二つあってもいいと思う。
沖縄と言うのは、いい意味で異常な島だと思う。あの芸術家、芸術文化の多さは半端ではない。しかもそのレベルは異常なぐらい高い。
那覇は、沢山のお土産屋や沖縄らしい喫茶店、音楽、文化に溢れている。沖縄の文化を体感したかったら那覇はものすごくいい場所で、深夜まで店が開いているので、一人暮らしの辛さを紛らす為には絶好の場所だと思う。
住む場所を那覇に選択して本当に良かった。那覇でなくて、もっと静かな田舎だったら、私は心細くてどう気を紛らわしたらいいのか分からなくなっていたと思う。
辛い時、悲しい時・・・沢山あったけど、私はいつも仕事帰りに国際通りに行って、お土産屋をうろうろしていた。
行く場所がライブや居酒屋などではなく、お土産屋で、特に何を買う訳でもなかったので、お金の掛からない、本当にいい気分転換だった。
そんな事の繰り返しでこの店にはどの人のどんな作品が置いている・・・と言う事を全て丸暗記して、シーサーを見ただけでどこの工房の作品だなと言う事までも分かるようになって来た・・・。
那覇はあの時の自分にとって、絶好の場所だった。ものすごくいいインシュピレーションを与えてくれた場所。
ただ、那覇は一生住む場所ではないと思う。一生住む場所だと直感で思う場所は玉城村。
2007年02月17日
明日から沖縄
明日から、3泊4日で沖縄本島に旅行に行く。沖縄から逃げるように帰ってきて以来、2年4ヶ月ぶりとなる。沖縄にはまって以来、こんなに沖縄から離れていた期間はなかった。
その間、両親から何度も沖縄に旅行に行こうって誘われていた。けれど、私はかたくなに拒否していた。今更何を見る物があるのだろうと思って、どうしても沖縄に行きたくなかった。
でも、今になって、行こうって気になって来た。
旅行の日程は、2週間ぐらい前に決めたけど、行く日にちが近づいてくる度に、会いたい人、行きたい場所、見たい雑貨、行きたいギャラリー、やりたい事・・・色々な事が頭にふくらんできた。
自分が、沖縄に再び足を踏み入れる事によって、何かとても大きな物を得そうな気がする。
色々な刺激やインシュピレーションを受けそうな気がする。
住んでいた時には気がつかなかった何かに気付く気がする・・・。
沖縄に行って、自分が何を想うか、何を感じるか、何も感じないか・・・それは分からない。
ただ今の心境は沖縄に行くと自分の価値観を一新するような何かが起こりそうな気がして、楽しみで仕方ない。
行きたい場所は・・・ボクネンさんのギャラリー、玉城村、風の島、すーじ小、南ヌ窯、壺屋やちむん通り、国際通り、浜辺の茶屋、山の茶屋、公設市場・・・。
会いたい人は、お世話になった先生達、作家さん、卸していたお店の人・・・。
その間、両親から何度も沖縄に旅行に行こうって誘われていた。けれど、私はかたくなに拒否していた。今更何を見る物があるのだろうと思って、どうしても沖縄に行きたくなかった。
でも、今になって、行こうって気になって来た。
旅行の日程は、2週間ぐらい前に決めたけど、行く日にちが近づいてくる度に、会いたい人、行きたい場所、見たい雑貨、行きたいギャラリー、やりたい事・・・色々な事が頭にふくらんできた。
自分が、沖縄に再び足を踏み入れる事によって、何かとても大きな物を得そうな気がする。
色々な刺激やインシュピレーションを受けそうな気がする。
住んでいた時には気がつかなかった何かに気付く気がする・・・。
沖縄に行って、自分が何を想うか、何を感じるか、何も感じないか・・・それは分からない。
ただ今の心境は沖縄に行くと自分の価値観を一新するような何かが起こりそうな気がして、楽しみで仕方ない。
行きたい場所は・・・ボクネンさんのギャラリー、玉城村、風の島、すーじ小、南ヌ窯、壺屋やちむん通り、国際通り、浜辺の茶屋、山の茶屋、公設市場・・・。
会いたい人は、お世話になった先生達、作家さん、卸していたお店の人・・・。